〜エンタな心を求めて〜社会不適合者の独りごつ

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zoom RSS 敗北宣言

<<   作成日時 : 2008/01/25 22:45   >>

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超長文です。
多分、ブログを始めてから今までの記事の中で一番長いのではないかと思います。

ずっと心の中でモヤモヤしていたことをワードで打ち込んでみたらとんでもない長さになってしまっていました。当初、このままローカルに仕舞っておくだけにしておこうかと思ったのですが、少し文章を整えてアップすることにしました。なんといいますか・・・“浄化したい”みたいな気持ちでしょうか?

長い上に暗く重く、取り留めも無い内容になってしまいました。
所詮、負け犬の遠吠えに過ぎません。
気分の優れない方、そういうのが嫌いな方はさらっとスルーして頂ければありがたいです。

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正月に弟が実家に戻ってきた。
その夜、少しの間ではあるが二人だけでコタツに入りながらお茶を飲んで互いの近況を話し合っていた。

弟は今のところ仕事も順調で生活自体、非常に落ち着いているように思えた。残業もそれほどなく、年収も安定しており、先日、勤務先である外資系IT企業が欧州の大手IT企業に買収されたり、職場で退職者が多かったりと将来に不安を覚える部分はあるものの、現状、公私共に落ち着いた生活を送れているように思えた。そしてこの春、先日自宅に連れて来た彼女とやはり再婚をするという話であった。

どうにも前に進まない自分の人生に対して、愚痴っぽくなった自分に対して弟は「自分も昨年、離婚をした時は本当に落ち込んだ。当たり前だけどまさか離婚することになるとは思わなかったから。だけど後悔していても仕方がない。自分は前を向いて進むだけ」と言い切った。

素直にこいつは強いなと思った。前回の結婚時も離婚時も、そして今回の再婚も結局は周囲の心配をよそに自分の思うがままに突き進み、周囲の協力がなければ何を成し遂げることも出来なかったはずなのに、これくらい強気で図太く主張できるのが正直、羨ましかった。自分にはそんな自信はもはや微塵もない。

弟は外資系IT企業に勤めるシステム・エンジニア。年収は30歳で600万程度。そりゃ世の中にはもっと貰っている人間もたくさんいるわけでSEという職業やこの金額が世の中の勝ち組だとかエリートだとかは言うつもりはない。しかし社会の中で立派に自分の足で立ち、キャリアを順調に積み上げ、評価された結果だと思う。

一方で自分は無職で収入ゼロ。潰瘍性大腸炎(UC)という難治性疾患やメカニズムのはっきりと分からない慢性疲労症候群(CFS)などという病気(症状)を抱え、社会復帰への目処すら立っていない。毎日、悪化しないようになんとか体調を維持し、一日一日を過ごすだけで精一杯だ。

同じ時期に同じ業界に飛び込みながら、なんのスキルを身に付けることもなんのキャリアを身に付けることも出来ず(そんな仕事に出会うことも出来ず)、最後は限界を超えて壊れてしまった自分に対して、弟は着実にキャリアを重ねていった。その差がこうして如実に表れる結果となってしまった。

自分からしてみれば弟は(努力をしていないという意味ではなく)最小限の労力で要領よく最大限の結果を出してきているように思える。就職氷河期で新卒で偽装請負ブラックIT企業に就職してしまい、無駄な苦労を経験せざる得なかったとはいえ、経験したプロジェクトやその中で身に付けた技術そのものは世間ではプラス評価されるものであったし、その経験やスキルを活かして現在は外資系企業に転職を果たし、立派に社会の中で自らの役割を果たしている。転職市場という観点からみて壊れるところまで全力を出し切っても何のキャリアも残せなかった自分とは対照的だ。

これが“絶対能力の差”なのかとも思う。

結果的にではあるが自分は何一つ弟に勝つことが出来なかった。

話は中学時代にまで遡る。

自分は当時荒れていた地元の公立中学を避け、私立中学受験という選択肢を選び、希望通りある宗教系のある私立中学に合格した。
しかし、入学してみると、そこが母校でもある父親から聞かされていた話とはまったく異なり、自分の持っている学力とはかけ離れた受験する価値などまったくない低レベル中学だった。しかもそこは、無試験でかき集められたスポーツで全国レベルの実力を持つ傍若無人な体育会系の連中がカースト制度の頂点に君臨し、正規の方法で受験入学してきた文化系の人間は隅に追いやられるような息苦しく殺伐とした校風だった。
小学校の時に比べれば頭の良い奴も集まっていたが所詮内容が酷かった。今でいう学級崩壊のような状態も目の当たりにした。
貧乏くさい校風にも馴染めずにいた。とにかく何もかもがボロボロで貧乏臭かった。生徒も宗教絡みの家庭が多いせいか貧乏臭くて、少し裕福そうな生徒がいれば目の敵にするようなところがあった。

附属小学校からではなく外部から入学してきた“よそ者”である自分はカースト制度の存在に最初は気付かなかった。空気を読めず、新たな生活に浮かれていた自分も悪い部分もあるのだが、それら体育会系の一部の人間に目をつけられたことからクラス内でも孤立させらてしまった。友人だと思っていた人間も掌を返し始め、自分はわざわざ受験して入学した学校でわずか半年くらいで最悪の状態に陥ってしまった。不遇な3年間の幕開けである。

2年になるとクラス替えもあり、孤立させられた環境は一変した。1年で一緒だった何人かの連中とも同じクラスとなったのだが、その連中は2年になった途端に何事もなかったかのように接してきた。それが自分には気持ち悪く、話掛けられても愛想笑いで適当に受け流し心を開けなくなってしまった。人間不信に陥っていた。
また、クラス替えがあったとはいえ、不遇な1年目を知っている元クラスメイトもそもそも首謀者ともいえる体育会系馬鹿の連中も学内には常にうろうろしているわけで、それらの人間の目が気になって仕方なかった。以後、自分を出来るだけ表に出さず、出来るだけ目立たないように振舞うようになった。
また、人間不信はそれだけに留まらなかった。孤立していた時でも変わらず接してくれていた、同じ地元で同じ小学校から進学した幼馴染ともいえる友人対しても壁を作るようになってしまった。自分のことを慕ってくれていて、話掛けられたり遊びに誘われても、それすら鬱陶しく感じるようになってしまっていた。独りになりたかった。もう誰にも自分を晒すことが出来なくなってしまっていた。

クラスのブレイン的存在で、クラス委員に選ばれたりで皆をまとめて引っ張っていくこともあった小学校時代の自分とはすっかり変わってしまっていた。自分にとっての暗黒時代の始まりだった。

中学での実態を知らない家族や小学校で一緒だった地元の友人には、レベルも高く校風も自由で、いかに素晴らしい学校に自分が通っているかというふうにうそぶいていた。認めてしまうと、わざわざ受験までして進学した自分自身を否定してしまうような気がしたからだ。

一方、弟はというと・・・

特に勉強出来ないわけではないが勉強出来るわけでもなかった弟は、その宗教系私立中学の受験に失敗し地元の公立中学に進学した。
自分は内心、ほっとしていた。わざわざ受験してまで入学してくるような価値のない糞中学なのは自分が一番分かっていたし、弟が入学してくることで小さくなってしまった自分の姿や噂を耳にされるのが怖かったからだ。
中学に進学した弟は、勉強もそこそこにバスケットボール部で部活動に熱中し、彼女も出来、充実した中学生活を送っていた。宗教系私立中学で暗黒時代を送っている自分とはまったく対照的であった。それを羨ましくもあり、妬ましくも思っていた。

自分が弟より優位に立っているのは、何でも2年早く生まれているという優位性と、何をしても自分の方が優秀だという自信だった。
幼い頃から自分の方が勉強が得意で、作文を書いたり絵を描いたり工作をしたりといった芸術的なことも含めて自分の方が上だった。同じ中学を受験しても自分は何の抵抗もなく合格して弟は不合格だったという結果は、さらに自分の優越性を裏付けする事実として捉えられた。ここだけは負けないと自負していた。

高校に進学した。

自分は低レベルな中学で3年間を過ごしたことで、他の進学校や公立の上位校を受験できるほどの学力はすっかり失っていた。中学入学時からずっと学内で上位5%程度の成績を維持していたにも関わらずである。他に行ける高校もないので、そのままエスカレーター式に附属の高校に進学した。中高一貫校の最大のメリットである。中学時代に成績上位だったこともあり、十数クラスあるうちの数クラスしかない特進クラスに進学することになった。

高校での3年間、勉強ばかりさせられていた。自ら“していた”というよりは“せざるを得ない”といった詰め込み詰め込みの毎日。平日は普通クラスよりも長い授業時間を受け、朝から夕方まで授業。自宅に戻れば大量の課題。小テストの連発。課題もまともにこなしていたら半分徹夜になるような課題が毎日のように出されるし、理解しているかしていないかなど問題ではない完全詰め込み式のスパルタ指導だった。
土日、夏休み、冬休みも自宅でCDやFMを聴きながら、夜中までダラダラとテキストを読んだり問題集を解きながら、合間にテレビを観たりドラマを観たりといった生活を3年間続けていた。
バイト、恋愛などは常識的に考えて時間がない。少数ではあるがクラブ活動に参加している者もいるにはいたのだが、普通クラスに比べると授業時間が長い為、クラブ活動自体も完全に制約が入っていた。「そんなものは大学に合格してからいくらでも出来るじゃないか?」・・・学校の指導方針はそういったものだった。
入学前は想像だにしていなかった勉強漬けの生活に「高校生活ってこんなもんなのか?こんな青春時代でいいのか?」などと悶々とした毎日だった。悶々としているので集中力に欠ける部分はあったが目の前に出された課題を真面目にこなすだけであっても着実に学力は伸びていった。
小学校で安定して60以上、一度だけNやT大寺も合格圏内の70なんて偏差値を出していた自分であったが、上記の中学卒業時には50〜55程度とガタガタに落ち込んでしまっていた。小学校、中学校、高校と母数が違うので一概に比較は出来ないとはいえ、高校の3年間で60になり65になり70を記録するまでに回復させた。
もちろん世の中には上には上がいるわけだが、人より少しばかり優れている点といえば勉強くらいしかないわけで、こうして勉強さえこなしていれば他に何も考えなくていいわけではあるし、こうして学力を伸ばすことだけが自分のアイデンティティのひとつでもあった。他に取り得なんて何一つないわけだから・・・。

この時期も中学校時代からのメンバーは一新されたとはいえ、やはり自分自身を殻に閉じ込めたままのような感覚は拭い切れずにいた。笑っていてもどこか本心でないような、自分自身でないような・・・。そんな空気を持っていたからか仲間外れにされているということではないがクラス内では孤立することが多かった。
高校に入って特進クラスで仲の良い友人が出来た。いつも一緒に行動していた。趣味も考え方も成績も似通っていて唯一、心を開ける相手だった。しかし3年生の秋にその友人に彼女が出来た途端に自分を避け始めた。クラス内でも通学でも帰宅時でも一緒だったのに独りになってしまった。結局、自分は独りなんだと思った。

一方、弟は公立中学から高校受験を経て、自分が特進クラスに在籍している宗教系私立高校の普通クラスに進学した。自分の通っている特進クラスへは外部から合格しようと思うと偏差値60程度は最低限必要らしいのだが、普通クラスなら52そこそこで合格することが出来る。
一応、試験はあったとはいえエスカレーター式に進学した自分とは異なり、両親は、失敗することが出来ない弟の高校受験に際しては家庭教師を付けたりと珍しく子供に関心のあるところを見せていた。あまり勉強していない弟のことが心配だったのかもしれない。

弟はここでもバスケットボール部で部活動に熱心に励んでいた。この宗教学校自体、田舎の芋学校という雰囲気で垢抜けた部分もなく、ただただ部活動をしているだけの生活だったように自分からは見えた。特進クラスで勉強に追われる自分と普通クラスで部活動に夢中になっている弟。対照的な高校生活だった。

3年生になり自分に大学受験の時期が来た。
結論から言えば、自分は完全に大学選びに失敗した。いろんなことを知らなさ過ぎた。

そもそも、事の発端は2年生で社会科の選択科目を決定しないといけないところで、上記の仲の良かった友人に誘われるままに政治経済を選択したことだった。特進クラスの中でも大多数を占める私立文系コースを選択していたのだが、英・国・政経で受験できる大学となると限られてくるのである。一般的には社会科の選択科目は日本史か世界史である。

2年生の時点で“どこの大学が良いのか?どこの大学に行きたいのか?その大学に行く為には何の科目でどれくらいの偏差値が必要か?”なんてこれっぽっちも考えていなかった。そもそも、「どこの大学を出ても同じ、大体、大学なんて出ても出ていなくても同じ」とか「大学に行かないのなら金はやるから4年間遊ばせてやる」とか「学歴なんて関係ない。四則演算が出来れば金儲けは出来る」とか馬鹿なことを本気で子供に対して吹き込んでいた父親の影響もあって、特進クラスで勉強中心の生活を送っていながらも大学進学に対する意識は限りなく低かった。
もっと言えば、大学の名前自体3年生になるまでほとんど知らなかったし、行きたい学部なんて何それって感じだったし、進学する大学が変わることで将来、どうなるのかなんてことも全然考えが及んでいなかった。これだけ勉強ばかりの毎日を送っているにも関わらずである。つまり、勉強そのものに追われていたり夢中になっていたりで、勉強する意味や目的自体については何の考えも及んでいなかったのである。それを教えてくれる大人も周囲には皆無だった。

3年生の秋頃、本人、担任、母親を交えての進路について三者面談があった。
直近の全国模試の結果を踏まえて、どの辺りの大学を狙えるのかといった内容だった。担任からこの辺りが妥当なのではないかと示されたのは関西のある中堅私大だった。

当時、ネットなどで幅広く情報を集めることが出来る時代でもなく、また両親も教育に無知・無関心、自分自身も世間知らず。三社面談の帰り道、3年間、十分に勉強し特進クラスでも上位の成績をキープし続けたにも関わらず、それでも中堅私大が関の山とは大学受験とはなんと難しいものなのだと母親と話をした覚えがある。模試で失敗しても偏差値65くらいは最低あった。調子が良ければ70近くいったこともある。なのに中堅私大なのか・・・。模試でA判定を安定して出せるようにならなければ受からないもんなのだろうか?良く分からないが担任がそういっているのだからそうなのだろう。この中堅私大をターゲットに勉強を続けていくしかない。そう思った。

大人になってから振り返ってみれば、この宗教学校の教師達は附属中学、附属高校を経て、さらに酷いパターンになるとFランク大である附属大学までエスカレーター式に進学しての出戻り組であることが多く、難関大・有名大を突破し、その大学を卒業して母校に戻ってくるような、よくある進学校の教師ではない。本人が難関大・有名大を突破した経験もないのにまともな受験指導なんて出来るはずもない。結局、進学クラスとされるクラスで、有名進学校に追い付け追い越せで詰め込み式のスパルタ教育を施していながら、まともな進路指導ひとつ出来ない所謂、“進学校もどき”だったんだと今になってみれば思う。ともかく現役で確実なところに放り込んで合格実績という数字を残せればそれでよい・・・そんな感じだったのだと思う。

さて、進路指導で妥当とされた中堅私大については一足早く、秋の推薦入試でチャレンジすることにした。英・国・社の三科目である一般入試と違って推薦入試では英・国の二科目。受験科目の少ない分、少しでも楽だと考えたのと、ここで合格しておけば2月の一般入試でさらにレベルの高い大学を目指すことも可能である。

事前にこの中堅私大の赤本を買って昨年、一昨年辺りの問題はさらっと解いてはいたのだが、本番では英語の試験は60分のところ見直しも含めて30分ほどで解けてしまった。思ったよりも試験会場でもあるその大学が山の中にあって、家を出てきたのが朝早かったので机に突っ伏して残りの30分をぐっすり眠ってしまった。周囲はまだカタカタとやっていたが、何故にそんなに時間が掛かるのだろうと思った。続く国語の試験も見直しを含めて40分ほどで解き終わってうとうととしていたら終わってしまった。

合格だった。推薦だったから簡単だったのか、一般だったら受かりにくかったのか、それともそもそも自分のレベルと釣り合っていないのか良くわからない状態だった。ともかく合格したのだからキープしておくべきだと入学金やら何やらで70万円ほど振り込んだ。93年当時の我が家はまだプチバブルのような状況で70万円という金額に対しても特に抵抗はなかった。

一般入試ではその上のランクに当たる四私大をターゲットにした。いわゆるKKDRなどと呼ばれる大学群である。
KKDRなどという大学も括りも受験シーズンになって友人が話をしているのを耳にするまでまったく意識していなかった。しかも個々の大学の特色なんてこれっぽちも理解していなかった。両親もなんとなく耳にしたことがある程度で“それらのいずれかに入れればすげーんじゃない?”って感じでそれ以上でもそれ以下でもなかった。
しかし2年生の時点で選択した社会科の科目は政治・経済である。もうこの時点で受験できる大学はKKDRのKかRしかなかった。D大なら数Tでの受験も可能であり、数Tだけなら1年生時点で全国偏差70〜80、県内1位も取ったことがある得意科目ではあったが、3年生の11月頃からおさらいするのはあまりにもハイリスクに感じた。それにそこまでD大に固執する必要性も自分には感じられなかった。
特進クラスの私立受験者上位の連中や、同じくらいの成績・偏差値だった友人達はこぞってD大への進学を希望しているようだったが、そもそも中小企業経営者の父親の教えを信じて“大学なんてどこへ行っても同じ、むしろ行かなくても同じ”程度の意識レベルでやって来ている自分にとっては、一応、関西の四私大なんていわれてる大学にさえ進めばどこでもいいんじゃね?という感じだったのでK大とR大だけ受験することにした。何故に同じくらいの成績の連中がD大に拘っているのかも良く分らなかった。

結果的にはK大もR大もそこそこの割合で合格した。
K大3学部を受験して2学部合格。R大学2学部を受験して1学部合格。倍率10倍なんていう人気学部も受かっていたのに、何故か一番行きたかった経営系の学部だけはひとつも受かることが出来なかった。この辺りも今考えてみれば自分の持っている巡り合わせの悪さのひとつだったとも思う。
交通の便が不便でキャンパスの雰囲気がイマイチという理由だけでR大を蹴ってK大に進学することに決めた。最近の傾向なら100%R大を選択する学生が多いだろうが93年当時は7:3くらいでK大を選択する学生が多かったらしい。自分にはそんなことは関係なかったが・・・。

受験が終わって卒業式で再び高校のクラスメイトと顔を合わせた。同じくらいの成績の連中はほとんどがD大に進学が決まっていた。ある友人に「どこに決まった?」って聞かれたので「K大とR大に受かってK大にしたよ」って言ったら「そりゃ(K大やR大くらいなら)○○君なら受かるやろ〜」って違う意味で驚かれた。

結局、大学に入ってから知らされることになるのだがKKDRといってもD大が頭一つか二つくらいは抜け出している。D>>KG>R≧Kといった序列。最近ではD>>R>KG≧Kという具合らしいが。
K大で一緒になった友人なんて話を聞いてみればほとんどがD大落ちでD大コンプレックスを抱えた奴らばかりだった。もちろん偏差値も上記の序列通りD大が一番難易度が高かったりするのだが、今、考えてみれば、英語も国語もそれなりに仕上がっていたので数Tをさらっと復習してから受験しても十分届くレベルではあったんじゃないかと悔やまれる。
ちなみにK大での友人達は偏差値58〜60程度で合格している。自分は65以上。ミスマッチといえばミスマッチだった。「あれ?自分、なんかおかしい?」って違和感は確かにあった。うまく言えないが“何か損をしている”感覚が残っていた。
しかし、その時点では少しでもレベル(というより受験偏差値)の高い大学に進学する意味も分かっていなかったし意識する必要もなかった。とりあえずKKDRなんて一括りにされている中にさえ入れば“受験競争においては”勝ち組だと思っていたし、そもそも大学なんてどこを出ても関係のない世の中だと思っていたし、人に聞かれても恥ずかしくない程度の取りあえずの“保険”は身につけることが出来たわけだ。自分はこの結果に満足していた。

2年後、弟が受験する季節になった。
弟は3年間、ほとんどがクラブ活動中心の生活であまり勉強していない。そもそも普通クラスだと大学はエスカレーター式に附属のFランク大学に進学するのが標準なので勉強自体あまり力を入れていない。勉強を始めたのが3年の夏辺りかクラブ活動引退後に大手予備校の夏期講習に通い始めてから。その秋くらいの全国模試の成績は偏差値50だか55だかその程度と言っていた記憶がある。中堅私大ならなんとかなるかもといった程度だ。例に漏れず、母親も交えた三社面談では中堅私大のそのまた下辺りのレベルの大学を勧めてきたらしい。しかし、自分の受験時に、関西四私大を十分に受かる実力のある学生に対しても“追い込んで中堅私大が妥当”などという指導を行うこの宗教系学校の教師(自分と違って普通クラスではあるが)の言うことをさすがの母親も信じてはいなかった。

自分は、自分が受験した時と同じように、一般入試に先駆けて秋の推薦入試で中堅私大にチャレンジするように勧めた。推薦入試なら一般入試より試験自体、簡単だということを自分は知ってる。それに、もしここで駄目なら一般入試での受験の戦略もまた考えることが出来る。

弟は見事に合格した。自分の時と同じように両親は入学金を振り込んでその中堅私大を取りあえずのキープとした。

弟の一般入試。夏期講習あたりから自分が3年の終わりに少しの間、通っていた予備校に通っているとはいえ、話を聞いている限りでは偏差値60ラインには程遠く、推薦で合格している中堅私大以上の大学への合格は難しいのではないかと思われた。

既にK大の2回生になっていた自分は、学内資料によって“同じ大学内で学部を併願すればするほど合格率は跳ね上がっていく”ということを知っていた。
試験問題なんて学部は違えど常に傾向として似通った問題が出題される。時にはある学部で出題された問題がそっくりそのまま翌日の別学部の問題として出される時もある。つまり初日に失敗しても、翌日に向けて対策しておけばフォローできる場合があるのである。また、出題の傾向が似ているので受験生もなんとなく慣れてくるという点も大きい。
そんなことは常識というか今ならネットで調べれば誰でも手に入る情報ではあるが、当時、大学受験経験者が身内にいない、また、詰め込みだけのエセ進学高校では教師からのノウハウの享受など一切なく、こんな当たり前のことも知らなかった。少なくとも自分は。

弟には自分のいるK大か、あるいはR大辺りを狙って徹底的に併願するように勧めた。対策は希望する大学の赤本とその大学対策用の英単語集などを徹底的にやり込むようアドバイスした。希望の学部でなくとも、同じ大学内で受験可能な日程を全て受験し、ひとつでもどこかに引っ掛かればそれで勝ちだということを教えた。

弟は自分の進学したK大学を5学部だか6学部だかを受験することになった。ターゲットを絞れているだけにその後の追い込みはかなり楽だったと思う。

結果は5学部ほど不合格となったが、唯一、人文科学系の学部にひとつ引っ掛かった。作戦勝ちである。弟は自分と同じK大学のこの学部に入学することを決めた。

自分のように、例えばだが10の大学・学部を受験して5つも6つも合格する必要なんてそもそもないのだ。弟のように、仮に10受けて1つ合格して、それが一番良いと思われる大学だったらそれで勝ちなのである。
合格した大学数、学部数なんて、高校が合格実績の数字に上乗せして喜ぶだけであって本人にはまったく意味がない。併願しまくった結果であっても、自分の実力以上のところであっても、ひとつ合格すればそれでOKなのである。馬鹿みたいだがこんな当たり前のことに自分自身の受験時は気付いていなかった。
弟の所属する宗教系高校・普通クラスの教師はこの結果に非常に驚いたという。進路指導では偏差値50にも満たない大学を勧めていた生徒が関西四私大のひとつに合格したのだから。
弟が自分と同じ大学に合格した時、自分は素直に嬉しかった。作戦勝ちみたいな部分に本人の努力が加わった結果だとは思うが心から祝福した。

しかし、二人のここまでの経歴を振り返ってみると、優位に立っていると思っていた自分は結局、ここで追い付かれてしまった。

小さい時から(そこそこ)勉強が得意で(実は全然余裕な低レベル中学だったが)私立中学に合格、進学し、高校では3年間、(詰め込み詰め込みで時間に追われながら)勉強中心の生活を送り、偏差値65〜70程度はありながら、ターゲットの定め方を間違えて(一応)関西四私大の(最低ランクだが)ひとつであるK大学に落ち着いた自分と、

小さい時から特に勉強が苦手というわけではないが好きとか得意というわけでもなく、中学受験に失敗して普通に地元の公立中学に進みクラブ活動に明け暮れ、高校も特にレベルが高いわけでもないところに進学してそこでもまたクラブ活動に明け暮れ、要領良く偏差値50そこそこで自分と同じK大学に進学した弟・・・。

例え歩み方はどうであれ、持っているものがどうであれ、「結果は同じ」なのである。
大学、特に日本の文系学部なんて入学してみれば成績トップでも最底辺でも同じ。偏差値70でも50でも同じ○○大学・○○学部なのだ。そこが就職活動時の企業からみた最終学歴なのである。

友人Sも、「長男の後姿を見てるし、先に何でも経験している長男のアドバイスを受けていたりするので、どこの次男も要領はいいもんだから仕方ない」とはいうが、何でも手探りで進んできた自分から見てみれば本当に要領よくポンポンと進んできているように思える。いや、本当は長男だからとか次男だからとか関係なかったような気がするが・・・。

大学での過ごし方は二人異なるとはいえ本質的には大差なかったと思う。

特に弾けて楽しんでいたわけでもなく、特にバイトに明け暮れたというわけでもなく、特に勉学に勤しんだというわけでもなく恋愛に夢中になったわけでもなく・・・。
詰め込み詰め込みで時間に追われていた高校生活から解放されて急に自由になったことに戸惑いもあって何をしていいのか分からず、中途半端なサークルに入ってはすぐに行かなくなったり司法書士の勉強を始めてみたりと、どこか迷走状態だった自分よりは、きっちりバイトしたりサークル入ってみたりと弟の方がまだ地に足着いた生活が出来ていたのかもしれない。

就職活動、就職・・・ここからは自分が不甲斐ないこともあって、全てにおいて置いて行かれるばかりだった。

自分は、大学受験時と同様、ターゲットの定め方を取り違えた為に就職活動を失敗し、途中で失敗したことに気付き最後の最後でギリギリフォロー出来たかと思いきや、所詮は例の第二地銀ではフォローにもならず新卒就職も結局は失敗。
異業種転職と手に職を付けたいと思い飛び込んだIT企業でも長く不遇な時間を過ごし、より広いフィールドで働けることを希望してステップアップのつもりで臨んだ大手メーカーシステム子会社への転職では、客先常駐・請負という名のただの派遣社員扱いを経験し、底辺IT業界を垣間見ることとなった。
最後は何人分もの無茶な負荷を掛けられた挙句に、なんとかそれを自分のがんばりで跳ね退けようとしてみたが力尽きることとなった。ある日、突然、起き上がることすら出来なくなって自分の人生は止まってしまった。
世界的大手メーカーのグループ企業なだけはあって、2年近いの休職期間を与えてもらったものの十分に回復はせず、休職期間満了とともに職場復帰を果たしてはみたが再び体が悲鳴を上げた。そして退職、収入ゼロ、自宅での病気療養、2次的に潰瘍性大腸炎の発症、入院、そして倒れてから数えて3年半以上たった今も、いまだ症状が回復せず、もちろん社会復帰も出来ないままに今に至る・・・。

環境や仕事に恵まれなかったこともあるが、能力のある人間ならきっと簡単に乗り越えることが出来たのだろうと思う。自分はそんな能力も持っていないし、いろいろな部分で世間知らずで選択間違いを繰り返してきた。そもそも自立心もなく、考え方が甘かった。こうなって当然なのかもしれない。人との出会いにも恵まれなかったのか、両親や周囲の大人で助言や軌道修正の出来る人もおらず、大した情報もないままに手探りで進んできたらそこは行き止まりだった。

弟も、新卒で7Kなどとブラック職業の代表格でもあるIT企業(しかも中小)に就職し、話を聞く限りずいぶん苦労を重ねている。デスマ、偽装請負、毎日の長時間労働、東京で働いていながら何年働いても手取り16万円という低賃金・・・。就職後、間もなく結婚したこともあり逃げ出すことも出来ず、自分には想像も出来ないような悲惨な精神状態に追い込まれていたことと思う。その後、転職を2度ほど経験し、今のポジションまで辿り着いた。弟も「ようやく人並みの生活が出来るようになった」と言っていた。

弟は次男ゆえに大学卒業と同時に家を出ざるを得ないと思っていた。長男は家を守り、次男は家を出なくてはならない・・・小さい頃から父親がことあるごとに口にしていたこと。そんなこともあって弟は小さい頃から家を出て自立することを意識してきたのだろう。だから、悲惨な環境でも自分の足で立たなければならない責任感が、折れる一歩手前で踏ん張らせてくれたのかもしれないなと思う。

さらに、育ってくる過程でのことなのかIT業界で悲惨な経験を重ねすぎたせいなのか、ずいぶん精神的に強く、というよりは図太くなってしまった。正直、少し物事の捉え方というか感覚が違っていたりもする。母親も諦めている部分がある。自分が潰されたメー子で出会った“何本か神経の切れたような”人達に近いかもしれない。そうならないと生き抜いていけない現実もあったのだろうと思う。精神力の部分でも、自分では到底、勝てないだろうと思う。自分は弱すぎる・・・。勝てる気がしない。

どちらがより悲惨でより苦しい環境だったかなんてことは比較出来ない。しかし、自分は潰れてしまい弟は乗り越えてきた。それは紛れもない事実。

こうなって人生を振り返るようになって気付いたことだが、本質的には自分は弟に何一つ勝てなかった、そもそも本質的に、絶対能力的に負けていた思う。

中学も高校も大学も、社会人としてのキャリア形成も収入も精神力も人間性も・・・。

恋愛出来ない奴は仕事も出来ないなんていわれるが、恋愛関係でも弟には完敗だ。
中学生で初めて彼女らしい相手が出来、22歳で親に紹介出来るまでの彼女が出来、その彼女と24歳で結婚し、昨年29歳で離婚したにも関わらずその半年後には新しい彼女が出来て、その半年後には再婚する。
それに対して、全く何もなかったわけではないが、29歳までまともに彼女も出来なかった自分。人間力の差そのままの結果。その彼女も病気と失業で失ってしまったが・・・。
人間性、人間的な魅力という点から見ても自分は圧倒的に劣っているのだろうと思う。弟との比較だけではなく、世間一般から見てもやはり自分は劣っていて、何らかの欠陥を抱えているのだと思える。

思うに、弟と比較してもこれだけいろいろなものが劣っているわけで、世の中でなんて到底やっていけるはずもなかったんだと思う。

あぁ、なんとなく見えてきたする。

自分は絶対的な能力が不足している。何をやっても駄目な人間だったんだと思う。
少なくとも、何かをゼロからヨーイドンで始めればそこそこいい線いけることもあるが、結局、結果に結びつける能力がない。それはこれまでの人生を見れば分かる通り。

そもそも、生きていく為の知恵もなく、体力もなく、精神的にも弱い。要領も悪く、いつも空回りし、環境に対して適応する能力にも著しく劣っている。それでいて、何でも小難しく捉えて、右から左に受け流すことも出来ずに真っ向勝負しようとし、勝手に自滅に向かう。能力がないからまともな環境を手に入れることが出来ないのにそれを受け入れることも出来ず、こんなはずじゃない、こんなはずじゃないと焦り、背伸びをし、また空回りをし続け、最後は木っ端微塵に壊れた。

ただそれだけなんだ。予定調和。きちんと落ち着くところに落ち着いたのが今の結果なのかもしれない。

弟に素直に告げた。
自分は何一つ弟には勝てなかったということを素直に認めた。弟は「たまたまやん」と言っていたが本心ではそうは思っていないと思う。

ダメ人間。ダメ男。

自分は何をやってもきっとダメだったんだろうと思う。

一瞬、一瞬ではキラッとする瞬間があっても結果に結びつける能力がない。

自分はこれで終わりなんだろうか?ここまでだったんだろうか?

ダメならダメなりに出来ることって何かあるんだろうか。

今から始めれることって何かあるんだろうか。

そんなものは無いというなら一体、自分は何をどうすればいいんだろう。

最近、生きてる意味や存在する意味すら自分にはあるのかないのか分からなくなっている。


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コメント(7件)

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私の父の話で申し訳ないのですが、父の年齢が60を超えた後、兄弟(3人男の兄弟なんですが)の優劣関係は完全に逆転してます。
それまでずーっと劣勢だった我が父、多分今は一番良い環境にいると思います。
ただ、その下となると・・・完全に私が一番コケて惨敗・・・ってところですね。

恋愛と仕事は関係ないのではないかと私は思うのですが・・・。どちらかというと周囲の見方が違ってくるという理由のほうが大きいような気が。

でもすごいなぁ〜。全教科を均すと私は60行くか行かないか・・・って感じでしたからね〜偏差値(笑)教科別に差がありすぎてしまって。それに私でも受けさせてもらえないレベルの高校に、私よりも成績の低い子が合格してたりしましたから(合格した本人も先生も固まってた(笑))。

自分が存在する意味。これは難しいです。私自身もう既に存在する意味なし・・・と思って諦めてしまいましたから。究極の疑問なのかもしれないです。今のところは現状維持で。
まりりり
URL
2008/01/27 23:17
>まりりりさんへ。
こんばんは〜。長文読んで頂いたようで恐縮です。もっと要約出来るとは思うんですが最初に書き殴ったものをほぼ原文のまま載せてみました。

なんか皆がそこそこ上手くいっていればいいのですが優劣が完全についてしまうとギクシャクする部分もありますよね。

仕事と恋愛についてですが、やっぱりモテる奴っていうのはそもそもが器用なんですよ。で、何よりやっぱりコミュニケーション能力に長けているのと世渡りが上手いというかなんといいますか・・・。あと、人としての魅力が違うんでしょうね。人事の話ですとそういう見た目や雰囲気を持っているということは面接でも有利らしいです。同性の知り合いを見ていてもやっぱりそういう奴は仕事も上手くこなしてるように思いますしね。
shige
2008/01/28 22:18
偏差値・・・うーん、まぁあれだけ詰め込みされりゃって感じです。それしかやってないですからね。逆にそれしかやってないのにその程度かと・・・。要領悪いこともさることながらやはり環境が良くなかったと思います。3年の夏期講習から学校終わりに予備校にも通い始めて如何に自分の学校の授業のレベルが低かったのか思い知らされました。後半ぐっと延びましたから。
しかもまた自分のレベルから狙えるところよりも低いところに落ち着いて・・・。今となっては何考えてたのか自分でも分からないです。

自分も本当にこの先が見えなくて、そうなると気持ちがすごく後ろ向きになってしまって・・・。自分は社会に求められてないんだろうなと。上手くやれてる奴らが眩しいです。
shige@まりりりさんへ続きです
2008/01/28 22:21
shigeさん、こんにちは。お久しぶりです。すみません、新年のご挨拶が遅れてしまって。今年もどうぞ宜しくお願いします。年が明けて色々と悩むことが多くなっているようですね。兄弟がいる人はきっとshigeさんと同じ気持ちの方が多いかもしれませんね。主人も弟がいますが彼と話したりするのはあまり好きではないようですし、もともと兄弟でも性格が合わないといったようなこともあるようです。
人生において弟さんの方がきように生きてこられてるなぁって印象も受けます。shigeさんの弟さんも同じ感じかなぁ・・・。不器用な人ほど社会から突き放されることがあるし、主人もどちらかと言えばそちらに入るのかなぁ・・・でも主人はそんな風に生きたくないってズバッと言う人なので私は全然気にしないですけどね。
shigeさんもそう思うほうですか?そうありたいかなぁ??どうだろう??


tsubasa
2008/01/29 17:48
>tsubasaさんへ
こんばんは〜、お返事遅くなりました。此方こそ今年も宜しくお願い致します。

こんな纏まりのない長文読んでくださってありがとうございます。そしてすいませんでした。
ずっといろいろなことがモヤモヤと頭の中にはあったんですがイマイチ纏まりませんでした。もう纏まらないなら纏まらないまま書き出してしまおう・・・と思ったらこんな長文になってしまいました。
器用、不器用って結局、結果なのかなとも思います。仮に自分のように要領の悪い生き方をしていても結果オーライならそれはそれで評価すべき(されるべき)ことだとは思うんですよね。自分はどうなんだろ?出来ればもっと器用な生き方したかったかな?不器用で人の何倍も苦労した挙句に結果も出なければ・・・それは意味のないことになっちゃう気もします。
shige
2008/01/31 20:10
初めまして。UCで検索をかけてたまたま貴方のページにたどりつきました。貴方には言霊があります。素晴らしいと思います。貴方が今おかれている状況が理不尽で納得できないものであっても、必ず明日はきます。これからまだまだ色々なことがありますよ。これから色々な人と出会いますよ。そこまで冷静に分析して自分を客観視できるのは、すごいことですよ。貴方は弱くなんかないと思いますよ。苦しい時は自分が成長する時です。
偉そうに書いてしまってすいません。
通りすがり
2008/02/09 11:45
>通りすがりさんへ
こんばんは。コメントありがとうございました。長らく放置状態で大変申し訳ございませんでした。

励ましのお言葉、ありがとうございます。
今、改めて自分の書いた文章を読み返してみても、状況が状況というのもあるのですがとことんマイナス思考になってしまってますよね・・・。
>言霊
ありがとうございます。率直な気持ちを文字で表現することで自分を改めて客観視している部分があります。でもまだ自己分析が甘いといいますか、オブラートで包んだような感じではあります。自分でしか分からないですけどね(笑)

通りすがりさん(でいいのでしょうか(笑)?)はUCで検索されたということですがこの病気でお悩みなのでしょうか?大した内容のブログではありませんが何かひとつでも情報をご提供できれば幸いです。
shige
2008/02/19 00:54

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